理事長挨拶

A Message from our President

理事長
安倍信一(あべ しんいち) Shinichi Abe, President

成り立ち

どのような組織にも、その組織ならではの『個性』があります。

個性というよりは『組織文化』とでも言ったほうが分かり易いのかもしれませんが、では美瑛慈光会の『個性』『組織文化』とは何か? それは何処から来たものでどのようなものなのか? このコラムではその点をお伝えしたいと思います。

最初にお伝えしたいのは法人の『成り立ちについて』です。

慈光会の成り立ちの起点は、旭川市内で長らく高齢者医療に携わってきた『青山東一先生』(法人創立者・故人・内科医)の“深い想い”にありました。

先生がご健在のころ『老いの実存』という言葉を使われていたことを覚えています。『すごい言葉だな』とは思いましたが、若かった私にはその言葉の深い意味がよく判りませんでした。

今は年を重ね、当時先生が私に伝えようとしたこと、その時の気持ちも手に取るように判ります。

でも、この深い想いをどのように職員たちに伝えたらよいのか? 考えた末に私がとった方法は、先生から頂いたお手紙の一部をそのまま法人の運営理念として掲げる事でした。それが今から20年前、平成13年のことでした。

『自分の家に帰りたい…』という言葉から始まる慈光会の『運営理念』(ホームページ内に掲載)に一度じっくりと目を通してほしいのです。

青山先生が文章の枕に『自分の家に帰りたい』という言葉を置いたこと。

きっとそれぞれにいろいろな受け止め方があるだろうと思いますが、それに続く言葉のすべてにおいても、私たち『支える側』が心しておかなければならない『とても大切で見失ってはならないこと』が説かれていると思っています。

理事長の写真

Our Beginnings

Every organization has its own "individuality".
Perhaps "organizational culture" is a more familiar term than “individuality”. However, I would like to explain here about what "individuality" or "organizational culture" of Biei Jikoukai is, where it comes from, and what it entails.
First, I would like to mention the "origin" of the corporation.
The starting point of Jikoukai is the "deep feelings" of the late ‘Dr. Touichi Aoyama’ (corporate founder and physician) who had been involved in medical care for the elderly for a long time in Asahikawa city.
I remember that Dr. Aoyama often said the phrase "existence of old age" when he was alive. I thought it was a “great phrase”, however, I never really understood the deep meaning of the phrase when I was young.
As I get older now, I quite clearly understand what he was trying to tell me and how he felt at the time.
However, I wondered how I should convey this deep feeling to our staff. After a lot of thought, I decided to put up an extract from his original letter, as it embodies the corporate management philosophy. That was in 2001, 20 years ago.
I would like you to take a closer look at the Jikoukai's "Management Philosophy" (available on this website) beginning with the words "I want to go home ...".
Why did Dr. Aoyama put the phrase, "I want to go home", at the beginning of the statement?
I'm sure many people will react in many different ways. However, also in the words that follow, I believe that the important matters, which we "supporters" must keep in mind at all times and “never lose sight of”, are explained.

展開

さて、この法人が生まれるきっかけは、間違いなく美瑛慈光園という特養ホームを開設するためでしたが、実践を重ねていく中で、『お年寄りたちの在宅をまず支えること』に活動の焦点が変わりました。

これは、青山先生の冒頭の言葉…“自分の家に帰りたい”という言葉を形にしなければならないと考えたからです。

その実践の中でお年寄りたちとの出会いは、『施設入所という場面』ではなく『地域での暮らしの場面』へと変わり、そこでの支援の流れの中で『施設の役割・立ち位置』も、以前とは違う形に変化したように思います。

なぜ、『在宅』で『地域での暮らし』を支えるのか? それは間違いなく、そこには本人が築いてきた様々な『繫がり』『人生そのもの』が残されているからです。そしてなによりも大切なことは、そこにいる限りどこまでも『本人が主=あるじ』でいられる場所だからです。

だからまずそこをしっかりと支える。もちろん介護されているご家族の負担を増やさないよう、通えて、泊まれて、家にも行ける『小規模多機能型居宅介護』を設置するなど、24時間を見通した様々な手立てを講じながら。……そこを私たちとの出会いの場所としたかった。

そのために私たち自身もしっかりと地域とのつながりを作り上げ、行政とも協働していかなければなりません。

そして、施設の役割は?というと、老いの進行と支援の流れの中で、本人にとって在宅がむしろ負担になっていった時に“住み替える”ことができる『もう一つの我が家』=『最後の拠り所』としての施設がある、とそう考えています。

これが『自分の家に帰りたい…』という投げかけに対する私たちの答えの出し方でした。

しかし、まだまだ十分なものではありません。『長い旅の途上』(注1)です。

ですからどうかこの歩みを見守り応援して欲しいのです。 (注1 写真家 故『星野道夫』氏の著書名から)

さて、ここまでは法人の『成り立ち』と『展開』についてのお話しでした。

ここからは、この法人なりのケアについての考え方や気風みたいなものを『事例』を通してお伝えします。

Implementation

What gave birth to this corporation was definitely the opening of a special elderly nursing home called Biei Jikouen. Meanwhile, as we went by our daily jobs, the focus of our activities has shifted to "supporting the elderly at home first".
This is because I considered that we had to put the beginning words of Dr. Aoyama’s statement, "I want to go home." into motion.
In practice, where we encounter the elderly changed from "the doors of our facility" to "their homes in the community". And I consider, in the flow of support found there, "the role/position of our facility" has also shifted to a different form from before.
Why do we support their "living in the community" via “home care"? It is definitely because the various "connections" and the “lives" they built for themselves are left at their homes. And most importantly, it is because it is the place where “they themselves can be the owner” of the house through and through as long as they are there.
Therefore, this first step is essential. Of course, we will do it while we are taking various measures with a 24-hour outlook, such as providing "multifunctional long-term care services in a small group home" where they can visit, stay, and take service of staff’s visit to their home in order not to add to the burden of the family members who care for them. I wanted to make the group home into a place where we could meet…
With this in mind, we must build strong ties with the local community and cooperate with the government ourselves.
In addition, in terms of the role of our facilities, I hope our facilities can be "Another home" and a "Final stronghold" where they can "relocate" to when they feel rather the burden of having our cares at their homes through the process of aging and the duration of our support.
This was how we answered the question, "I want to go home ...", thrown.
However, it is still not enough. It is just one step, "Nagai tabi no tojou [On a Long Journey]" (Note 1).
Therefore, I would like you to pay attention to these steps and support us.
(Note 1: The title of an essay written by the late photographer, Michio Hoshino)
I explained "Our beginnings" and "Implementation" of the corporation so far.
Next, I will tell you about something like our own attitude and spirit toward cares with some "case examples".

事例

この法人なりのケアについての考え方や気風みたいなものを『事例』を通してお伝えします。

一つ目の事例は、支援者としての私たちの立ち位置をどこに置くのか? 私たちなりに考えた『ケア』と『ケアプラン』の在り方について、全国大会で発表したものです。

二つの事例から、私たちが大切にしようとしていることや現場の雰囲気が伝わるでしょうか?

事例1
(全国小規模多機能事業者連絡会、2016年松山大会)
テーマは“楽しい介護” ~現場職員がイキイキするために~
(発表要旨)

登場するのは小規模多機能型居宅介護事業所の所長を務めるMさん。

Mさんは特養ホームの介護職員として働き、現在は『ひなた』という小規模多機能型居宅介護事業所(以下小多機として表記)で所長を務めています。

彼女はいつだって楽しそうに仕事をしているので、どうしてかな?と少し不思議に思っていたのですが、その理由が判りました。

このMさんが特養ホームで介護職員として働いていたころ、担当していたKさん(男性・介護度4)のために書いたケアプラン(総合的援助方針)を紹介しますので、従来のケアプランと比べてみてください。

従来のケアプラン(総合的援助方針)

言語障害のため言葉が不明瞭であり、周囲に理解してもらえないことによってストレスが募ることが多い。『声かけ』の場面を多くとり、本人の気持ちをくみ上げる場面を数多く持ち、気持ちの安定を図ってゆきたい。妻との交流も大切にしたい。

矢印

Mさんが担当になってこのプランがこんなに変わった‼

【Mさんが立てたケアプラン(総合的援助方針)】

《私はこういうこだわりを持って生きています。こんな風に支えてください》

言葉をうまく聞き取ってもらえなくても、伝えたいことや聞いてほしいことはたくさんあるんだよ。冗談だってもっとたくさん言って一緒に笑いたい。

だから『バカヤロウ』って一度や二度言われたくらいで、話を聞くのを止めないでくれ。

怒っているように見えるかもしれないけど(本当に怒っているときもあるけど)実は寂しいんだ。伝えたい気持ちは一杯だから……。だからもう少し粘って俺の話を聞いてくれ。

オレは強要されたり、しつこくされるのは嫌いだ。でも、無視されるのはもっと嫌いだ。だからうまく付き合ってオレについて来い。

あと、みんなの喜ぶ顔を見るのは好きなんだ。だから喫茶に一緒に行ったら、オレがおごるから一緒にケーキを食べよう。オレはクリームソーダを飲むからな。

やっぱり『ありがとう』と言われたり、みんなが笑っている顔を見るのはうれしいね。

あとは、妻のことが心配なんだ。せめてディサービスに来ている月曜日と金曜日には会わせてほしい。本当はできることならまた二人で、昔の家で暮らしたいんだ…。

いかがですか? 御覧の通り、全然違う内容のケアプランになっています。

違いの一番大きな点は『3人称』ではなく本人の言葉『1人称』で書かれていることですね。

そして何よりも『本人の願いや希望』が本人の言葉として描かれている。

この見事なケアプランは彼女の特養ホーム時代に書かれたものですが、私たちの視点=『立ち位置』を変えるだけで、どれだけ中身が変わるかがよく判ります。

メイヤロフという哲学者は、『ケアの本質』という本の中で『ケアとは、“その人がその人自身になること”それを手助けすることだ。』と説いています。

そしてケアする側もまたこの“手助け”を通じて自己確認でき成長できる、とも言っているのです。

これは当事者からみた『ケアの定義』として、最も納得のいくものではないでしょうか。そして、多様な専門職がいる中で、最も当事者に近いこの立場=本人の代弁者としての立場から支援に関われる職種が…ほかでもない、『介護職員』のみなさんたちなのです。

ケアプランをこれまでのような問題点や課題ばかりを見ていくものではなく、残された健常な部分、もっと『本人の〇〇したい』や『希望や願い』に光を当てるものに変えていくべきでしょう。そうすれば、私たちが行う日々の介護も、必ずやりがいのある創造的なものに変わるはずです。何よりもお年寄りたちが喜ぶはずですから。

『喜んでくれるから私たちもうれしくなる…』ですね。

これで彼女がいつも楽しそうに仕事をしている訳が分かったのですが、このように『本人の〇〇したい』や『希望や願いに光を当てる』プランを、私たちはケアプランではなくライフサポートプランと呼んでいます。

ケアとは本人にとっては目的ではなくて手段・補完するものでしょう。

目的はライフ…人生にあり。彼女のように、人生そのものを豊かにしていく手段としてケアやケアプランを考えていきたいものです。

そしてそうであれば、事業所自体の在り方についても考えようが出てきます。

実は彼女が現在働いている小多機事業所『ひなた』を立ち上げるときには、次のような絵が描かれました。

美馬牛「ひなた」手作り楽園計画の絵

地元の保育所の子供たちの写真

今はこの絵の畑の部分に羊の小屋が作られ『クッキー』という名の羊が飼われています。すると面白いことが起きました。

地元の保育所の子供たちの散歩コースになったというのです。

発表のまとめ・メッセージ

居心地の良い場所、楽しいところに人は集まる。
人が集まるところには様々な出会いや出来事があり、そこから楽しさが生まれる。
楽しさは人に伝わるものであり、その楽しさを求めてまた、人が集まる。
楽しさ、やりがいは、誰かが与えてくれるものではなくて自らが創り出していくもの。
これまでの視点を少し変えて、多くの人たちが関われるそんな好循環を地域の中に創り出しましょう。

さて、この事例で伝えたかったことは、 私たちが『視点』や『立ち位置』を変えることで『見え方』が変わり『ケア』も『事業所の在り方』も変わる。そんな話でしたが次にもう一つ事例を紹介します。

事例2

これは法人が町から指定管理を託されている老人保健施設『ほの香』の療法士が取り組んだ実践ですが、法人全体でこの実践を共有するべく表彰した事例です。
なぜなら支援過程が法人の運営理念そのもののように思えたからです。

表 彰 状

美瑛町老人保健施設『ほの香』
理学療法士

貴方は、右大腿骨転子部を骨折した100歳のAさんを在宅復帰につなげました。

2月に入所したAさんが家に帰るためには、ほの香でリハビリをすることが必要でした。でもAさんは『家に帰りたい』という強い思いはありながらも、痛みを訴えられてリハビリには拒否的でした。

『このままの状態を続けていては家に帰れない』……そう思った貴方がとった行動は、100歳のAさんを理詰めで説得することではなく、気持ちに寄り添い『傾聴』することでした。それを続けているうちにやがてAさんは貴方が来ることを待つようになり、やがて楽しみにしていたことややりたいことを話してくれるようになりました。

100歳のAさんのやりたいこと…。それはなんと『楽しみで通っていたパチンコにまた行きたい』ということでした。(その話を聞いたときにきっと貴方は『やった』と思ったにちがいありません。もちろんそこからの貴方の展開は速かった。)

御家族にもそのことを話し、もちろんパチンコ屋さんにも本人と一緒に出かけ、自宅にも一緒に行って、自宅で暮らすうえでのリハビリ上の課題を本人と共有しながら明らかにして、その上でリハビリを実施。もちろんそうなれば拒否などはありません。

やがて、歩行器を使えば自立した歩行が出来るようになって、8月下旬には、本人の念願であった在宅に戻りました。

100年も生き抜いてきて、骨折という難儀から生還した高齢者へのリハビリに対する動機付けなど、尋常な方法論で歯が立つわけはありません。唯一の方法は本人の心に寄り添い、希望や願いに光を当てていく事に違いありません。そして、本人の希望や願いを実現していくために立てられたケアプランやリハビリプランの実践は『包括報酬制』による入所施設だからこそできること。だからパチンコ屋さんにだって連れていけたのです。

こんな取り組みが出来ることがほの香に入所した時の『強み』だということを実践を通して明らかにした貴方の功績を讃え、ケア優秀賞を贈ります。

いかがでしたか? 二つの事例から、私たちが大切にしようとしていることや現場の雰囲気が伝わったでしょうか?

ところで、このコラムを終えようとしていたところに、お知らせしたいことがもう一つ飛び込んできました。

くるみんマークの取得
くるみんマークの画像

子育てしやすい職場を作り上げている事業体に対して与えられる、『くるみんマーク』という国の認証制度があります。

北海道内の社会福祉法人のなかでもまだ数か所しか交付されていない、なかなかハードルの高い認証制度なのですが、このマークを頂けることになりました。

実は慈光会は、開設した当時からシングルマザーたちが大勢働いている職場だったのです。

みんな働きながら子供を育て上げ、介護福祉士などの資格もとって定年まで勤めあげていきました。そして今も、シングルマザーたちが大勢働いています。

お年寄りたちを幸せにしていくためにはまず、職員たちの暮らしをゆとりのある安定したものにしていかなければなりません。もちろん彼らの子供たちも。

だから国が『同一労働・同一賃金』と言い出す前からそうした取り組みを進め、無資格ならば資格を取るための支援の仕組みも作り上げました。そうした様々な取り組みの結果としての『くるみんマーク』の取得だと考えます。だからこのマークは私たちの勲章です。 

さて、いつだってこの法人は『発展途上』です。もちろんうまくいかないこともありますが、日々新しい気づきがあり発見がある場所です。

その全てをここで紹介することはできません。

期するところは、この北海道の自然風土にふさわしい、逞しくおおらかな組織文化と暮らし作りです。

できれば、ホームページ内の各事業所の取り組みもご覧になっていただければ望外の幸せです。