ひとこまストーリー

Short stories

第1話 今は昔

ひとこまストーリーは、実際にあった、くすっと笑える、心温まるエピソードなどを紹介するコーナーです。
第1話は、理事長がその昔職員だった頃のお話です。
北海道新聞のコラム「朝の食卓」に、当時の出来事が掲載されていました。

廊下を歩いていると、遠くで「アベドノー、アベドノー」と叫ぶS さんの声が聞こえる。そばに行き、「僕がそのアベドノーなんですけど…」と言ってもなかなか分かってくれない。僕の顔や腕をなで回して訝( いぶか) しげな顔をしている。

これは、記憶の中の僕と、目の前の僕が違いすぎて同一人物と到底思えない、という笑えない事実を示しているのだ。
昔、彼女から、近くの公園に連れてけ、と頼まれたことがあった。「もう年だし、来年は生きているかどうか分からないから」というのである(そこには戦没者の慰霊碑があり、息子さんの名が刻まれていた)。

僕は車いすの彼女と公園に向かった。慰霊碑は石段を登った小山のてっぺんにある。彼女を背負い、石段を登り始めると、今度は「ちょっと待て、降ろせ」という。どうするのか見ていると、植え込みのつつじの根元に座り込んで、猛烈な勢いで穴を掘り始めた。そしてつつじの枝を穴に引き込んで土をかぶせ、「こうしておけば、枝から根が生えて来年には株分けができる」と満足そうに言う。「来年は生きていないかもしれない」と言った舌の根も乾かぬうちに、来年のつつじの算段をしているのだった。

彼女との付き合いは20年になり、僕は50歳になり、先ほど僕に「36歳だ」と言った彼女は今年で100歳になった。

新聞記事